お紅の渡し
長良川の中流に「お紅の渡し」という渡し舟がある。
江戸時代からある渡しで、中仙道を行く旅人に重宝がられた。

若い下級の武士であろう、質素な着物にはつぎあてが数箇所ある。
何かの命でも受けているのだろうか、あるいは家族の元に帰るところであろうか、中仙道を急いでいるようだ。
細い道をくぐりぬけ、寺の境内をつきぬけた川原に「お紅の渡し」があった。
その若い武士は渡し賃二文を船頭に払い、渡し船に乗った。
船にはその武士と汗臭い匂いのする禅僧、商人であろう中年の男と、お伊勢参りの帰りのような風体の夫婦が乗っている。

とうとつに、禅僧が若い武士に言った。
「貴殿は悟りを得たいと思ったことはないか?」
若い武士は、ちょっとい汗臭い匂いにムッとして答えた。
「特にそのようなことは・・・・」
禅僧は哀れんだ表情で言う。
「人はこの世に生まれた限り、悟りを得ないといけません」
若い武士は答えた。
「わたしは僧侶でもないし、特に悟りなど興味はありません」
禅僧は、やれやれとでも言いたげに若者に向かっていった。
「人は悟りを得るためにこの世に生まれてきたのです、武士でも僧侶でも関係は有りませんぞ」

「しかし、私は武士ですので修行の時間を持ち合わせていません・・・」
若い武士は丁寧に禅僧に答えている。
「いやっ!武士とて悟りを得なければ生きる意味はない!」
禅僧は強い口調で言った。
「そんなものでしょうか?」武士が言う。

「そうじゃ、悟りは万人に必要なものじゃ」
禅僧がもったいぶって言う。
「和尚さま、悟りを得ると何か良いことがあるのでしょうか?」
若い武士が質問をした。
「うむぅ・・・それは、悟りを得れば幸せな人生が送れる」
禅僧は重々しい態度で、武士に言った。

若い武士は、ちょっと考えながら禅僧に、また丁寧に言った。
「私は下級の武士ですが、貧しいながらも家族みんなで幸せに暮らしています。これ以上何を望むものがあるというのでしょう!」

禅僧はにやけた面構えで、武士に言う。
「そのような幸せも幻のようなもの、すぐに消えてしまうぞっ!」
「いえ、幻だろうが何だろうが、私は妻や子供を愛しております」
若い武士は強い意志で答えた。

禅僧は、なをもネチネチと悟りを薦める。
「この傲慢な奴め!この世は幻じゃと言っておろうがっ!」
武士はむっとした気分で、しかし、きっぱりと禅僧に言う。
「幻であろうと、私はこの世が好きです!」

「この虚け者めっ!」
禅僧が恐ろしい顔で、若者を睨みつける。
「何十年も修行してきた、わしが言うことに間違いはない、わしが神じゃ!」

若い武士は悟った。
「この僧侶は完全に気がふれている、何を言っても通じることはない」
そう気がつくが早いか、若い武士はその禅僧の尻を思いっきり蹴飛ばした。

汗臭い匂いを残して禅僧は、もんどりうって川の中へ落ちていった。
ザバ〜〜ン!!
水しぶきが渡し舟中にかかった。
相乗りしていた商人も夫婦もずぶ濡れになったが、怒るものはいない。

そして、水面でアップアップしている禅僧に向かって隣の商人が叫んだ。
「おとといきあがれ!」

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