旅ゆけば
旅に出ると人が変わる。
環境が変わるので当然であるが、ひねくれた性格の人が善人になってしまったりもする。
どこへ行っても自分が変わらなければ何も変わらない!!などと実しやかにのたまう輩は、自らの心の病を自覚したほうが良い。
環境が変われば人の五感の刺激も変わり、おのずと自分自身まで変わっていくというのが正常な精神の持ち主であることは言うまでもないだろう。
外界の刺激がなかば強制的に人格に変化をもたらすというのは、人類の発生当初より今も変わってはいない。

「旅の恥はかき捨て」と言うが、旅ではその場所に永住する訳ではないので一瞬だけ「良い人」になればよい。
まったくもって善人であり続けるにはエネルギーの持続が不可欠であるようだ。
だが、旅においては善人エネルギーの持続は必要ない。
数秒間だけの笑顔の持続が、その旅を良い旅へと誘ってくれるものだ。
好き好んで旅に出ているのであるのだから、悪人顔をする必然性もないであろう。

彼はとある東北の湯治場に来ている。
ひなびて風情のある湯治場で、有名な作家もここに頻繁に湯治に来ていたようだ。
町の中心部にある源泉にはタマゴや野菜が茹でられていて、いやおうが無しに旅気分を盛り上げる。
モウモウと立ち込める温泉の湯気は、硫黄の匂いを伴なって町全体を旅情緒バリアーで覆っているようだ。
「昔の映画のようだな・・」彼はこのような湯治場に来ると考えてしまう。
彼が特に日本映画ファンというわけではないが、夕暮れ時の仄かに点る街灯の明かりなど眺めていると、どうしてもそのようなノスタルジックな感傷にとりつかれてしまうのだ。

彼が宿泊したのは一泊2500円の格安の湯治場である。
古くからある湯治場のようで、地元の人々もよく利用しているようでもあった。
布団などもろもろの物を借りても4000円にも満たない宿泊料金に、感謝の念を抱かざるを得ない!
食事も自分で作らなければいけないのだが、特にグルメでもない彼はインスタントラーメンを作って食べる程度の食事である。
それを見かねてか、炊事場の隣でカレイの煮つけを調理していた老夫婦が、甘辛く煮付けた半身をくれたりもする。
「旅の間だけでも善人でいよう」と、そんなときに彼はいつも決意してしまうのである。

湯船は数箇所あり、昭和初期あたりに作られたであろう1つの湯船が彼のお気に入りである。
中心部にあるさほど大きくない円形のタイル張りの浴槽にナミナミと溢れる温泉がなんとも豪勢である。
部屋の壁に貼ってある色とりどりのタイルも、昭和の雰囲気を発散してどうにもたまらないレトロ光線を放っている!

湯治場の部屋の壁は薄い。
隣で宿泊する人の声が深夜になっても聞こえるときは、ついつい聞くとはなしに聞ききってしまう。
嫁姑のいざこざや病気の話や遺産相続の話、結局のところ明るい話など有りはしないのだが、いずこも同じ人の生活に切なくなってしまうのである。

朝も白みかけてくると、聞いたこともない鳥の声が山の彼方から響いてくる。
もっともっと布団の中でユックリとしたいのだが、今日帰路につくとしよう。
彼の善人パワーは何日も続かないのだから。
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