ディラン礼賛

いつ聞いてもディランはいい!
10代のころから半世紀弱のファンであり、喜怒哀楽辛苦の時にディランを愛聴してきたので、DNAの奥底に彼の音楽が染付いているといってよいだろう。
他人に「ディラン信者!」と罵られても、またそれがファンの自尊心を高揚させるほどの存在感がディランにはある。
それにしても、ボブ・ディランのストイックなまでのリアリズムや自己に対するリゴリズムには敬服せずにはいられない!
そしてそれらは彼の音楽全体ににじみ出し、聞いている者の感性にダイレクトに伝わってくる。
ビートルズのように糖衣錠に包まれたような曖昧なものではなく、その直接的パワーがディランの魅力でありアイデンティティーなのだと思う。
ノーベル賞候補に何度もエントリーされる由縁でもある。

米国人かフォーク狂いの青春時代を過ごした日本人ならディランを知らないはずはないのだが、一般常識的なディランについてはWikipediaを見ればよい。
最近自伝もでているので、それもまた興味深い本なので読破するのがディランの実態を知るには良いだろうことは言うまでもない。
なにしろご本人が書いているので、これ以上の真実はないだろう。
しかし、得てしてファンのディラン像というものは実体とはかけ離れてしまっているのも事実でもある。
偶像が実体を凌駕している。
過去の人物のキリストや仏陀もその類であろうことは簡単に想像がつくが、生きているディランやストーンズもその例外ではありえない。
結局のところ”俺のディラン”が一番重要なのであって、”おまえのディラン”や”あいつのディラン”また”著名人のディラン”など、まったく意味を成さないのである。
”偶像”は、本人のあらゆる物事のエッセンスのようなものなので、ある意味本人よりもさらに真実をもの語ってしまう、とも言えるかもしれない。

”Rolling Stone”は、”転がる石”なのであるが”風来坊”とか”浮浪者”の意味もあるようだ。
日本では”転がる石には苔がつかない”という諺があるし、似たような意味の諺に”石の上にも3年”などという、”この道一筋万歳!”みたいなコンセプトが根強い。
農耕民族ならではの発想であるが、遊牧民や狩猟民族にそのような薀蓄を語っても意味があるとは思えない。
転がっていればこそ得られるものもあるので、別によけいな苔なんかつかなくても良いと思う昨今である。
で、結局この”Rolling Stone”は”風来坊”と訳すのが適切だと思う、”転がる石のように”という邦題はマヌケすぎる。
内容的には”浮浪者のように”が正しいのだが、"Like a Rolling Stone"は”風来坊のように”が一番カッコイイと思う。
金持ちになったディランが、また無名になったときの事を不安に思って作られた曲らしいが、名曲である。



ディランのような”意志”や”哲学”をダイナミックに感じさせるようなミュージシャンは、そうざらにはいない。
”ブルース・スプリングスティーン”あるいは”スティング”など、その系譜に属するとは思うが、ディランほどの存在感は感じられない。
ディランのような意志や哲学を全面に押し出すようなアーティストは、日本のようなアジア的母系社会では育ちにくいように思う。
「みんな仲良く」社会では、ある意味「意志や哲学」は、たとえそれが「真実」であったとしても、秩序を乱す”邪魔者”になる危険性をはらんでいるからだ。
ディランがアコースティックギターをエレキギターに持ち替えたとき、”裏切り者”呼ばわりされ落胆したままならば、ディランは”フォークソング”という範疇に押し込められたままジョーン・バエズのように消え去っていたのは容易に想像がつく。



ディランを語るときは、芸術論を語るに等しい。
芸術家が作品を世に生み出したとき、人類はまた1つ豊かになったといってよいだろう。
ときおり「芸術なんか無くても生きていける」と含蓄ありげに豪語する人がいるが、それは「サプリメントだけでも生きていける」と言っているに等しい。
芸術が無くても生きてはいけるが、とても豊かな人生とは言いがたい。
人類は芸術する動物である。
それは、歴史を見れば明らかである。
アルタミラ洞窟の壁画、縄文土器の文様、etcetc・・・・・文化を有する初期段階から芸術的衝動を持っていたことは明白である。

ディランが1つの音楽を世の出したとき、人々の音楽ライフは豊かになり続けてゆく。
それは、すべての芸術にあてはまるものであるが、ことさら音楽に関して言えばディランの影響は大きいものだといえる。
詩・音楽・アート・映画・小説・演劇など、ディランから影響を受けた人々は多い。
音楽にあれだけ多大な影響をおよぼしたビートルズでさえ、ディランに強い影響をうけている。
交友関係も広いものであるようだが、それはディランの人間性によるものだろう。
しかし、芸術家は、本人より”作品自体”が本人以上に”本質”をさらけ出してしまうという皮肉な事実もある。
ディランの音楽が音楽という範疇に止まらず、人々の文化全般に影響を及ぼしているのは言いすぎではないように思う。

ディランがノーベル賞をもらうのか否かは不明だが、それはディラン・ファンの今後のお楽しみ!ということにしておこう。



Ah, but I was so much older then,
I'm younger than that now.


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