2008年 フォークジャンボリーの旅
岐阜駅構内
中津川までの特急券と坂下までの乗車券
歌謡ポップスチャンネル「フォークの旅路」に出演するために、あのフォークジャンボリーが開催された中津川市坂下町の椛の湖に37年ぶりに出かけることになった。

通称・中津川フォークジャンボリーとも呼ばれた全日本フォークジャンボリーは、市町村合併のため名実共に「中津川市」となった坂下町で1996年から1971年まで開催された伝説の野外コンサートである。

当時の岐阜駅は木造の駅舎だったが、今は現代的な建築物となり、駅舎内にはレストランやギャラリーまで併設されている

37年を経た椛の湖はどう変化しているのか、いないのか分からないが、とにかく妙に浮き浮きた気分で、まるで遠足にでもいくよう面持ちで「特急ワイドビューしなの」に乗った。

ワイドビューしなのは、以前JR東海の善光寺御開帳のポスターの絵を描かせていただいたご縁もある列車である。

岐阜駅10時38分発の「特急しなの」は混雑も無く自由席に楽に座れたが、1970年当時は蒸気機関車で各駅停車の2時間半くらいの旅で、座るところもないくらい混雑していたのを思い出す。

特急ワイドビューしなの車内風景
中津川駅風景
名古屋、金山、多治見を経て69分後に特急しなのは中津川駅に到着した。
ここからは中央本線に乗り換えなくてはならない。
反対側の車線の列車に乗り換えた。
中津川の駅は、昔の雰囲気のままのようだ。
昔の岐阜駅も、こんな感じだったのを覚えている。

車窓からの眺め
車窓からの眺めは、前々日降った雪が積もったままの雪景色である。
椛の湖までの道のりも雪景色であろうと思った。

中津川駅から坂下駅までは二駅むこう、8分足らずで到着した。
37年ぶりの坂下駅である、妙に1970年のあの時のようにドキドキしてきた気分になってしまっている自分が可笑しい。

降り立った坂下駅は、37年前とさほど変化が無いのが不思議である。
懐かしさでいっぱいになる。

屋根や通路も階段も、ペンキなど新しく施してはあるが、あの当時と変わっていない。
トイレも、当時のままである。
そんなわけで、トイレまで写真に収めたしだいである(笑)

この風景も1970年当時のまま
当時のままのトイレ
坂下駅
駅舎自体は新しく作られたようだが、駅前の雰囲気はあまり変わっていないような気がした。
若干駅前の広場が広くなったような気がしたが、実は当時より狭くなっているらしい。
広さの感覚も人間の成長によって変わるものだろう。
右側にある庭も当時のままであるような気がする。

駅の周りには、地元のスーパーや喫茶店が並んでいるのどかな風景である。
地元のスーパーで、何か珍しい食品でもゆっくり探そうかと思ったが時間の都合であきらめる。

初音食堂
スタッフの皆さんと会う時間にはまだ間があるので、初音食堂に入って腹ごしらえをすることにした。
卵丼500円を注文すると、味噌汁と漬物がついてきた。
葱と玉ねぎが卵であえてある素朴で家庭的な味ではあったが、結構美味しかった。
特に外は寒いので、暖かい食事は美味しさを倍増してくれる。
地元のご老人たちが皆ラーメンを注文していたので、きっとラーメンが一番美味いのではなかろうかと推測したが、もう卵丼を注文してしまったのでラーメンはあきらめることにした。

食事をしたのちに坂下商店街をしばし散策することにする。
昭和の雰囲気を多く残している懐かしい町並みである。
喫茶店や電気屋なども健在で、今もちゃんと営業していた。
空き店舗はほとんど無く、ほとんどが営業しているようである。
平日のこのような時間にも食堂や喫茶店も営業していることを考えると、商店街がまだ衰弱せずに生き生きと生きている証拠ではないかと感じた。

坂下町商店街
坂下駅に向かうと、スタッフの皆さんとなぎら健壱さん、森山愛子さん、遠藤健司さんらが到着していた。
岐阜の観光課の方もいらしたようです。

自己紹介をして直ぐにスタッフの方たちは撮影に入った。
私(さかいほういち)は、まだずっと後の出演なので、遠巻きに撮影風景を眺めることした。
冬の空気が澄んでいて遠景の山々が鮮やかに写っている。

地元のスーパーの中からも数人の人々が出てきて「何事か?」という顔をしながらロケ風景を眺めている。

(ロケ風景はいっぱい撮ったのですが、問題があるといけないので自重します(笑)

坂下駅ロケ風景
途中の山道
坂下駅から椛の湖までは歩いていったのであるが、今回はロケバスで行く。
しかし結構な道のりである。
ここを徒歩で1時間以上かかって行ったのかと思うと、当時の熱気と言うか情熱と言うか、そんなものを感じて妙に心が盛り上がってしまった。
途中で飲み水をいただいた民家らしき場所があったが、石垣が似ているだけで違う家かもしれない。

途中でバスが、凍結した坂道で立ち往生するが、なんとか無事に椛の湖に到着した。

椛の湖キャンプ場
椛の湖に到着したが、場所的には当時の入場口の反対側に当たる場所だった。
観客の多くが、ここでテントなど張っていたところである。
竹で組んだフォークジャンボリーの看板が建っていたあたりでもある。

椛の湖湖面には、水鳥が数匹遊んでいて冬景色100%の風情である。

1970年当時の看板
椛の湖は若干狭くなったとのこと。
会場も少し狭くなったようであるが、雰囲気はまだ残っている。
ステージも当時の場所にコンクリート製で設置してあった。

おお、今も昔も変わらないはずなのに、なぜこんなに遠い・・・
そんな五つの赤い風船の歌を思い出した。

20cm降り積もった雪が、妙に美しく会場を覆っている。
冬の椛の湖はこんなに雪深いところなのだと分かった。
夏でさえ朝は少し寒かったのを憶えている。

2008年椛の湖キャンプ場
上の写真とほぼ同じ場所
雪が積もっているので、行きたい場所へ動き回ることが困難だった。
せっかく来たのに残念であるが、仕方が無い。
いける場所だけでも撮影しようと思い、雪をかき分けながら動き回る。

当時フリーマーケットなど並んでいた場所には、コテージやらやら子供の遊具やらが設置してあった。
雪深いので、当時の入り口まで行けなかったのが残念である。
何か大きなオブジェみたいな物が見えたがなんだろうか?
巨大なパイプのようにも見受けられるが、ダムかなんかの設備の一部だろうか?

2008年キャンプ場
1970年の上の写真とほぼ同じ場所
当時は山の斜面を切り出したような、大きな土手のような観客席が作ってあったが、その場所も当時のままの状態で残してあった。

このキャンプ場は「フォークジャンボリー記念館」そのものである。
当時のフォークソングフリークは、この場所に来て当時の自分に出会うのであろう。
時間を隔てた、青春時代に出会うと言ってもいいかもしれない。
懐かしさと共に味わう時間の経過と痛恨の思い、あるいは熱い思いと後悔の念、人によってさまざまであろうが37年の時間を飛び越えて、意識はタイムトリップするのである。

このような形でフォークの聖地とも呼ばれる椛の湖を残していただけたことに感謝の念を抱かざるを得ない。
感謝!の一言である!

2008年のステージ
1970年当時の会場
キャンプ場で主催者でもある安保さんにお会いできた。
当時はただの観客であったので苦労など無く楽しんだのであるが、主催者の苦労は並大抵ではないであろうことは推測できる。
そのような話をお聞きできたことも楽しい出来事であった。

安保さん所有の未使用の71年のチケット
1971年のパンフレット
71年のポスターはこんな感じ(写真はレコードの歌詞カードになった複製)
安保さん保管の貴重な資料には、ちょっと興奮した。
知らない人にとっては無意味なものかもしれないが、レアな貴重品であると言っても過言ではない。

37年を経た短い旅のようなものであったが、懐かしさと共に切なさや寂しさも伴った旅でもあった。
このような機会を与えていただけた、なぎら健壱さん、森山愛子さん、遠藤健司さん、そしてスタッフの皆さんや安保さんたちに感謝いたします。
合掌。
2008年2月12日 さかいほういち

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