蚊帳の影

私が子供の頃、夏になると蚊帳をつって寝たものだ。
蚊帳というのは、麻を網状に編んで部屋につるす、蚊に刺されないための寝具である。
蚊帳をつるすと、見慣れた部屋がどこか別の部屋のような楽しい気分になったものである。
蚊帳には、白い蚊帳と緑色の蚊帳とがあって、白い蚊帳をつるすと高級な旅館に来たような気分になった。
緑色の蚊帳は、どこか森の奥に居るような、深い水の中にいるいような神秘的な心持になったりもした。

夏になると私は、時々蚊帳をつって祖母と一緒に寝ることがあった。

祖母は、幼いころこの家に養女に貰われてきた娘である。
養女に来たころは夏の盛りで、寂しくて蚊帳の中で毎日のように泣いていたらしい。
そんな祖母が養女に来て間もなく、生みの母である曾祖母が亡くなったということである。
その時からである、この蚊帳の北側に人の影のようなものが現れたのは。

私がその影を見たのは、深夜もふけてきたころである。
その影はボヤッとした人型で、ユラユラと揺れているように現れた。
蚊帳の右側から左側へ行き来し、しばらくすると真ん中に座るかのように停止する。
深夜に目が覚めた私は、最初は夢の続きかとも思っていた。
うつらうつらしながら影を見ていたら、祖母が布団から起き上がり、その影に話し出した。

「お母さん、今日も遠路遥々きてくれたんですねぇ」
祖母が影に向かって懐かしそうに話している。
影がうなずいたように見えた。
私には何も聞こえなかったが、祖母が微笑んでいるのは何か声が聞こえるからではないだろうかと、そのとき私は思った。
「寝ているのは、私の孫ですよ、可愛いでしょう」
祖母が私のほうを見たので、びっくりして私は寝たふりをした。
そして祖母がまた影に向かって話し始めた。
昨日の出来事や、私の学校のことや、息子である父のことなど、取り止めも無く話が続いていた。

小1時間も経ったころだろうか、祖母が名残惜しそうに言っている。
「お母さん、また来てくださいね、明日も待ってますよ」
その瞬間に、蚊帳の陰がスゥーッと消えたのを、私は見ていた。
それから祖母は、嬉しそうに布団に入って眠った。
それから、私も眠ったが、不思議な気分は夢の中まで続いて朝を迎えた。
あれは、幼い私の夢だったのか、あるいは祖母の妄想だったのか、数年前に他界した祖母に聞くことはもう出来ない。

今年の夏には、息子と一緒に蚊帳でもつって、祖母の部屋で一晩寝てみるつもりだ。
もし蚊帳に影が映ったなら、話しかけてみようと思っている。

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