夢博士

優秀な脳外科医である夢野博士の愛すべき妻の咲子が、脳梗塞で昏睡状態になってから数年になる。
愛妻が昏睡状態に陥ってからは、夢野博士の研究対象は「夢」そのものになっていった。
博士は、夢の中に入り込む方法を探っているのである。

夢野博士の友人でもある、医師の宮澤の経営する総合病院の一室に、夢野の妻は入院している。
ほぼ毎日のように看病に現れる夢野のことを、友人の宮澤は心配していた。
医師の宮澤は、夢野博士に言った。
「そんなに根をつめると身体に悪いぞ・・」
夢野が答える。
「いや、大丈夫だ、俺のことより妻のことをたのむ」
「言われるまでもなく、最善をつくしているさ」宮澤が言う。
「やはり、咲子はこのままなんだろうか・・」夢野がつぶやく。
「医師としてはっきり言うが、目覚める可能性は低いだろう」つらい口調で宮澤が言う。
無言のままうなずく夢野の表情は暗い。

夢野博士は研究のことを誰にも話してはいなかった。
夢の中に入り込む研究などしていると公表しようのもなら、変人扱いされて学会から抹殺されかねないと思ったからだ。
もう何年にもなるのに、夢の研究はさほどす進んではいなかった。
夢という主観的なものを扱う限り、客観的な数値に置き換えることは困難を極める。

妻の看病をする夢の博士の身体は疲れ切っている。
眠る妻と夢野博士だけになった病室には、静けさだけが漂っていた。
椅子に座っていた夢野博士は、うとうとと眠り込んでいた。

何時間も眠り続けている博士の身体に異変が起こったのは、もう深夜になりかけた頃だった。
椅子に座った博士の身体の一部分が、細い細いまるで釣り糸のような透明な糸状になっていく。
最初は手の部分から、そして腕や胸や頭、そしてついには身体全体が何億何兆もの細い糸になって病室の上を、雲のように漂っていた。

細い細い糸になった博士の身体は、まるで染み込んでゆくように愛する妻の頭に1本1本入っていった。
そして、耳から口から毛穴から、糸状の夢野博士は妻の身体に同化してゆく。

暗い何も無い空間の中を、妻の咲子は彷徨っていた。
それは、まさに何も無い空間の闇であった。
すると時間すらない無の空間に、突然光の条のような何兆もの糸が咲子の身体を包んだかと思うと、咲子は先ほどの暗闇から一瞬に懐かしい我が家に戻っていた。
懐かしい部屋の中にいたのは、あの夢野博士だった。
「あら、あなた、ここは私の家ですわね・・・」
咲子は不思議な感覚に捕らわれながら言った。
「そうだ、あの懐かしい我が家だよ」
夢野博士は続けて言う。
「しかし、本当の我が家ではないんだよ、ここは咲子の夢の中なんだよ」
咲子は状況が飲み込めないまま微笑んでいる。
「お前はもう、目覚めることはないんだよ、ずっと・・・だから私が会いにきたんだ」
「私・・・死んだの?」
「いや、生きている、生きてはいるが永遠の夢の中に封印されてしまったんだよ」
「永遠の夢・・・現実とどう違うの?」
博士は説明するのを止めて、強く強く妻を抱きしめた。


宮澤は警察に捜索願の電話をし終え、夢野咲子の病室へ向かった。
「夢野が愛妻を残して失踪するなんて考えられないんだがなぁ・・」
宮澤医師は、咲子の看病をしている若い看護師に言った。
「事故にでも巻き込まれたのかも・・・」看護師は、言い終えないうち口ごもった。

昏睡状態の咲子の表情は無表情で、ときおり苦痛のようなゆがんだ顔にもなっていたが、今日の表情はまるで幸せそうに眠っているかのようだ。
「先生、なんだか咲子さんの表情が微笑んでいるように見えませんか?」
看護師は、咲子の腕の脈を測りながら言った。
「うん・・なんだか幸福そうな顔だね、今までこんな表情になったことは一度も無いんだが・・」
宮澤は、咲子の顔を見ながら言った。
「夢野博士と一緒に暮らしている夢でも見ているのかしら」
看護師も咲子の顔を見て言った。
「そうかもしれないな・・・きっと、そうだと思うよ」
病室の窓の外に見える山々を見ながら、宮澤はそう願った。

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