乳房と林檎とアングラ劇団と

1970年の頃、春。
岐阜の街は、まったりと平和だった。

今日の日曜の夕方、木本小学校の公民館にアングラ劇団「実験の会」の公演があるという。
いつも行く古本屋の、我楽多(がらくた)書房の2階に登る狭い通路に、そのサイケなポスターは貼ってあった。
アングラ劇団と呼ばれるだけで、ポスターも何か怪しげな雰囲気を醸し出しているようだ。
こんな地方でアングラ演劇など、めったに見れるわけではない。
そして俺は公演日を記憶し、今日、行って見ることを決心しているわけだ。



夕方になり、俺は小学校の、その公民館に行った。
公演までは、まだ1時間ほどほどあった。
公民館の入り口は、暗幕で閉まっていた。

小学校の庭など、なんとなく眺めていると、後ろで声がした。
「おまえも、来とったのか?」
隣町・大垣市のフォーク村の福来さんと相場君の声だった。
大垣フォーク村は、隣の町・大垣市で、フォークのライブなどを催したりしているサークルみたいなものである。
「古本屋にポスターが、貼ったったのでなぁ・・・」
俺は言った。
「ここのアングラ劇は、面白いらしいよ」
福来さんが話した。
聞くところによると、この「実験の会」は、トラックで全国を回りながら各地の地方都市で公演をしているという。

公民館の入り口付近で、とりとめも無い話に花を咲かせていると、暗幕の間から真っ白な男の顔が、ニューと現れて・・・
「もう少し待ってくださいね・・・」
と言いながら、真っ赤な唇を開いてニソッと笑った。
愛想は良かったが、白塗りの顔なので妙にシュールで不気味だった。

「ああ・・びっくりした!」
相場君がそう言って笑った。
俺も、福来さんも、顔を見ながら笑ってしまった。
「何か、期待できそうだね」
福来さんが、俺に向かって言った・・・
「アングラ演劇って、初めてみるんだよね・・」
俺も、期待しながら、そう答えた。

噂によると、このアングラ劇団はストーリーなどほとんどなく、ハプニングで進められていくらしい。
ハプニングとは、その時その時に対応して臨機応変に行われるパフォーマンスのことだ。
何が起こるかわからない・・・それがアングラ劇団の醍醐味でもある。

「林檎食べる?」
唐突に福来さんが、背負っていたリュックの中から真っ赤に色づいた林檎を出し、俺の目に前に差し出した。
「あっ・・食べる、食べる!」
そう言って林檎を貰うと、シャリッと一口食べた。
シャリシャリと林檎の果実と皮が一体となり、口の中に甘い果汁がジンワリと広がった。
福来さんも、相場君も、シャリシャリ林檎を食べている・・・・

ガブリ・・シャリシャリ・・・
ガブリ・・・シャリシャリ・・・・・
アングラ演劇の開始の前に、3人の観客が、林檎をカジッテイル・・・・
もうハプニングの一部が始まっているかのようだった・・・・



木本小学校の公民館の壁が夕焼けに染まる頃・・・・
観客らしき人々が、十数人ほど集まってきた。
入り口は、さっきより少しだけ騒がしくなった。

突然、公民館の入り口から、カランカランとベルを手で振りながら、さっきの白塗りの男が現れた!
「開演です〜〜〜!開演です〜〜〜!」
大きな声で叫びながら、男が観客の周りをカランカランと回っている。

これも劇の1部なんだろう・・・
もう劇は始まっているんだ・・・・・
そう感じると、自分も劇中に出演しているかのような興奮を覚えたのだった。

木戸銭をはらい、入り口の暗幕が開き、おそるおそる入場した。
ちょっと、ドキドキした気分だった。
中は暗くて、目が慣れるのに少し時間がかかった。

舞台は、客席と同じ高さにあり、今は弱いピンクの照明に照らされている。
客席とはいうものの、座布団をしいただけの簡素きわまりないものだ。

俺は、一番前の座布団の上に、あぐらをかいて座った。

ほかの客も全員座り終えると、照明が明るくなり、色とりどりに点滅しはじめた。
白塗りの男や女が、何かを叫びながら、怪しく照らし出された舞台に登場する。
ある男は踊りながら、ある女は泣きながら・・・
また、奇怪な衣装をまとった人物は、寺山修司の詩を朗読していた・・・・

「う〜ん・・なんか凄いぞ・・・!」
俺は、ドキドキ紅潮した気分だ。

ストーリーらしいストーリーは無いようだったが、何もかもが意味ありげに思えた。
そうして、わけもなく妙に感動している、俺がいた。

そして、ストーリーなど無いまま、アングラ劇はどんどん進んでいった。

あるときは、照明が虹色に点滅し・・・
登場人物は意味不明な台詞を連発し・・・・
逆立ちをしたり、抱き合ったり、寝っころがったりしながら・・・・
観客を、不可解な世界へ引きずりこんでいくのだった。

アングラ劇も後半にさしかかったころ、俺にとっては最大のハプニングが起ころうとしていた。

白塗りの女が、踊りながら、やにわに俺の目の前に来た。
そうして、いきなりバサッと衣装を脱ぎ捨て、全裸になったのだ。
照明に照らされた上半身だけが、奇妙に白く光って見えた。
そして、そんな姿のまま、俺の方に、どんどん近づいてくるのだ。

俺の視線は、その女の視線と、ピーンと合ってしまった。
そして、視線をそらした場所には、白く輝くその女の乳房があった。
そんなに大きくはなかったが、神々しく見えた。

これが、ハプニングというものなのか!!
そう思った俺は、その女の乳房を、右手でギュッとつかんだのだった。

ムニュッ・・・と鷲づかみにした乳房は柔らかく、意外と大きく、シットリ汗ばんでいた。
そして、また、力を入れて握った。

女は、このハプニングを待っていたのだろうか・・・
赤い唇から歯を覗かせ、少しニッと笑って、こちらを見た・・・・

すごく長い時間が過ぎたような気がしたが、おそらく数秒の出来事だったのかもしれない。
もう女の乳房は、俺の手を離れて、舞台の遠方にライトに照らされながら消えていった・・・

俺の手の中には、女の乳房のあった虚の空間だけを残し、空虚に差し出されたままだ。

そうしていると、・・・・
そんな手の感触を味わう暇も無い瞬間に、すぐさま白塗りの男が、呆然とした俺の前にせり出してきた。
その男もの目線も、俺は捕らえてしまった。
男は、何か不明な台詞を叫んでいる・・・・
とっさに、左手に持っていた、さっき貰った林檎を、その男の口に無理やりくわえさせた!

男は林檎を、がっちり噛み、そのまま舞台の中央に下がっていった。
男は数口、林檎をかじると、いきなり床に叩きつけた!

バシーンッと、林檎は四方八方・・・舞台や観客の回りに砕け散った!

小さく砕けた林檎の破片や果汁が、観客の頭や服の上に、パラパラと霰のごとく降りそそいだ。
それと同時に、林檎の熟れた甘い芳香が、公民館全体に広がったのだ。

観客も、アングラ劇も、踊る男も、叫ぶ女も、眩しい照明も、すべて、林檎の芳醇な甘い甘い匂いで包まれていった・・・・

そうして、そのハプニングのまま・・・
アングラ劇は終了した・・・・



公民館の入り口を出ると、もう外は真っ暗だった。
三日月が、夜空に吊り下げられているかのように、か細く光っている。

帰り道に、なんだかんだと話しながら、福来さんと相場君と話しながら歩いていった。
3人とも、甘い林檎の匂いに包まれている。

俺の手は、熟れた甘い林檎の香りと、あの乳房の柔らかい感触だけが残ってしまったようだ。

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